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日本におけるオステオパシー医学の歴史 日本では、明治および大正、昭和初期において、手技療法関連の書物の中にオステオパシーという言葉が盛んに使われ、当時オステオパシーが注目されていたようである。無論、中身は米国のオステオパシーとは違うものの、我流の技法をオステオパシーの名前で紹介したり、またはアメリカの当時の書籍の内容を引用したりしていたのはほとんどである。 オステオパシーの名称を本格的に紹介したのは、大正九年十月二十日に発行された、「山田式整體術講習緑」だといわれている。 山田式整體術講習緑が発行された大正9年に、整骨の業務が「柔道整復術」として正式に国の認定を受けた年であることから、山田氏は意識してこの年に 本書を発行したとされている。 「山田式整體術講習緑」全三巻からなっているもので、第一巻はプラナ療法、第二巻は、オステオパシーの原理、そして第三巻は、精神療法になっている。 著者の山田信一氏は、芝崎という施術師から、オステオパシー療法を受け、眼病が治ったことから、オステオパシーに興味を持つようになったという。そして、アメリカのオステオパーの書籍を入手し、翻訳させ、山田式整体術の基盤をつくったとされている。 山田式整體術の内容を見てみると、その中身はすべてオステオパシーではなく、第二巻だけがオステオパシーの定義と原理および検査法と臨床に関する説明が記述されている。 山田氏のように、眼病をオステオパシーで克服し、アメリカからオステオパシーの書籍を取り寄せて、オステオパシーを独習したのは、故古賀正秀氏である。 古賀氏は、最初はカイロプラクティックの施術所を経営していたが、後にManual of Joint Manipulation(関節のマニピュレーションByron E.Laycock著)というオステオパシーの書籍を入手し、日本語に翻訳させ、それを教本にオステオパシーの治療や講習を行った。 古賀氏が日本オステオパシー協会を設立し、古賀式オステオパシーの普及を積極的に行った。 古賀氏もアメリカのオステオパシー大学の見学等に足を運んでいるが、正式な交流は行っていない。 このように、書物の翻訳や独習でオステオパシーを身に付け、オステオパシーの看板をあげた人は数人いるが、1965年までに、日本人として、アメリカのオステオパシー医学と正式な交流を行ったのは一人もいない。 1965年に、日本人で初めてアメリカ・オステオパシー協会(AOA)の依頼で技術の交流を行ったのは、日本武道医学の創始者・故中山清先生だった。 当時、ニューヨークで開かれていた世界万博には、日本代表の一人として参加されていた中山先生が、東洋医学の医療技術を会場で披露した。会場に出席していたオステオパシー医学の関係者たちが、中山先生の技術に感銘を受け、交流の依頼をしたのである。 1965年6月に、アッカーマン博士を代表にAOA(米国オステオパシー医学会)の要求で、日本の武道医学(武医術)とアメリカのオステオパシーとの間に歴史的な学術交流が行われた。 交流は、当時米国のフィラデルフィアのセラトンホテルで行われ、中山先生が当時の交流結果を、次のように述べている。 『米国フィラデルフィアのセラトンホテルで開催されたオステオパシーの学術会で交流を行った際、皆、日本伝統医術(日本武道医学)の技法に驚き、新聞記者会見まで行われた。数カ月の交流では、Dr.アッカーマンのオステオパシースクールに再々招かれ、日本伝統医術の説明や技術を行い、私もオステオパシーの技術を習得させられた。』 交流記者会見では、、ドクターアッカーマンD.Oは次のような言葉を述べた。 『我が米国医学は400年の歴史の中で成長発達したものであるが、貴方がたの国には数千年の歴史を持った医学がある。我々はその永い歴史の中で育った医学を習いたいのです。』と私を感動させてくれた。 当時、交流記念として、アメリカのオステオパシー学会よりオステオパシー技術に関する貴重な資料、そして日本武道医学会より日本伝統医学や武術の活法に関する実物資料交換が行われ、中山先生が当時ICCTの日本代表に推選された。 中山先生は帰国後、当時のオステオパシーとの交流の結果を、呉竹学園や柔道整復新聞および医道の日本社の雑誌(昭和41年第25巻第2号)などに報告されている。 しかし、中山先生は、日本オステオパシー史において、初めて米国のオステオパシーと正式な交流したにもかかわらず、オステオパシー医学の看板をあげることがなかった。その後、アメリカ側からは継続的な交流の依頼、また中山先生を日本におけるステオパシー医学の正式な代表として教育機関の設立の要望があったが、中山先生が、オステオパシーの名目で活動することに対して消極的であったため、断ってしまった。その背景には、外国の手技医療の伝承に力を入れることによって、日本の伝統医療はますます衰退してしまうという懸念があったからである。 しかし、中山先生がオステオパシーの技術を日本武道医学の会員に教授し、また、交流以来、オステオパシー技術を日常の治療の中に積極的にに取り入れた。 現在、アメリカのオステオパシー医科大学を卒業された方が数名の日本人がおられるが、法律の関係上、活躍の基盤をアメリカに置かれている方が多い。 この数年、日本武道医学会ならびに日本オステオパシー医学会からは、オステオパシー医学の積極的な書籍の発刊や講習会が行われ、オステオパシー医学が注目を集めている。また、日本のカイロプラクティックやオステオパシー各界等の各団体からも、オステオパシー関連図書の日本語版やイギリスおよびアメリカなどのマニュアルメディスン(手技医学)やオステオパシー専門家の招待によって、講習会が行われている。 日本頭蓋オステオパシー医学会 〒180-0006東京都武蔵野市中町1-29-4 copyright 2002 電話:0422-53-5100(代) Copyright 2002 Japan Association of Osteopathic Medicine(JAOM) Japan Association of Cranial Osteopathy(JACA) World Rights Reserved 1-29-4 Naka-cho Musashino-shi,Tokyo 180-0006 Japan Tel:0422-53-5100 |
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